昭和44年12月1日 月例祭



 (途中から)
 高橋さんが、あの前講を務められました。高橋さんが久し振りのお話だから、それこそ耳を傾けて、私はこんなにして聞いておりましたけれども、とうとう私に分からないまま済んだ。ここは聞こえんのですね第一耳が聞こえない。耳が遠いわけ皆さんは聞こえたでしょうけれども、第一マイクが故障してたんです。それで今日高橋さんがどう言う様な事を話されたんですかというて。
 お祭りを仕える前に、先生方に聞きましたら、大体今日のお話は、神様のお働きの邪魔にならないような、信心をさせて頂きましょうと、いう事だったというのです。これは神様が誰彼に、下さるおかげじゃない。私自信に下さるおかげの、お邪魔にならんような信心をさせて頂こうと、いう事だったというのです、皆さんもそのような風にお聞きとりになられたかどうか。
 高橋さんはなかなか人の前で立って話しをすることがもう一番苦手であり、自分でも、もうご免こうむると、何時もそういうても断られるくらいです。ですから私、竹内先生が、やっぱ高橋さんがもう話さん話さんちいよったけん、誰でん聞こえんごたる風にマイクまで入らんじゃったちゅうて。確かにそれですよね。神様はね、本当に私の頂いておるおかげを聞いてもらいたい。聞いてもらいたい。
 その聞いてもらえる機会を狙っておるというような人達の、場合はですね、おそらく今ここに電気が消えておっても、電気が点くぐらいなおかげは頂けると思うんです。やっぱりその願い。これはもう本当に神様のその辺のところは間違いのないことだなぁと私は思いますですね。そこでやはりお互いがです、おかげを頂かせてもろうて、ね、もう日々がですね、もう話すまいと思うけれども。
 今日私が実感したこのおかげというものをです、もう誰かに聞いてもらわなければおられないほどしの、生き生きとしたおかげを頂かにゃいけんと思うですね。話相手がならなら、家ででも、家内にでも、または主人にでも、子供にでも。どんなに考えても有り難い。今日はこうこうじゃった。神様のこういうお働きの中に、こういうおかげを頂いたと、お話をさせてもらわなければおられないほどしの、おかげのいわば実感の中に、ひとつおかげを頂きたい。ね。
 今日は、親教会のお月次祭でございましたから、御大祭のご準備の事も、お供えもちゃんと前の晩に準備してございましたし、お供えもちゃんと出来ておりましたから、今日は私がそれをもって、どうでも今日はお参りをさせて頂くつもりであった。愛子は楽の御用がありますし、御大祭前の御用があるので、今日は一日あちらに行くのですから、一緒におかげを頂くつもりであった。
 それで私はここを早めに、若先生と代わりまして、お食事を先にさせて頂こうと思うておりましたら、新聞が来たというて、新聞を家内が持って来てくれました。ところが、西日本新聞のあの、その月、月々の生まれの人の運勢が毎日書いた、なんとか、まぁ判断のような、運命判断のようなものがのっております。あれは私は、あれが、あり、あうとかあわないとかそんなことじゃない。ね、
 私があれを見ることによって神様が私ひとりのためにでも、きちっとした応えを何時も出しておって下さると私は信じておりますから、新聞を毎日見るわけじゃありませんけれども、見る時には必ずそこを見るんです。そしたらこと、今日の4月生まれの人のところにね。自然のリズムにおおじた、それにリズムに乗った生活をしていけば、間違いがない。という意味のことが書いてあった。
 これはもう私の流儀でもありますんです。ね、何時も申しますように、私共は、とにかく日々が有り難いとか、勿体無いとか、そういうような一つの自然の働きの中にそれを感じられれる、リズミカルな一日でありたい。そこにはきついはずのものがきつくなかったり、腹の立たねばならんのがかえって有り難かったえり、というようなおかげが受けられるんだと。実にいわゆるリズミカルな一日である。ね、
 それは丁度大変上手な、哀歌屋さんがおって、それにあわせて、いわば浪花節なら浪花節、浄瑠璃なら浄瑠璃をうなるようなもんだと。こちらの声がでないでも、こちらの方がカバーしてくれる。その影の三筋なら影の三筋にいわばのったようにして、出らない声まで出てくる。気持ちの良い歌が歌えたという時には、相、相手が良いから。伴奏が良いから。その伴奏にのってのおかげを頂くという事が。
 私は一日をこれは私が(りゅう?)いうところの新聞で書いてあったのはどういう意味か知りませんけれども、ね、リズミカルの一日。今日も一日間違いのない、いわゆる素晴らしきタイミングの中に、今日一日をお繰り合わせを頂いて、おかげを頂いたということになる。もう今日という今日はもう腹の立つ日だった。もう今日という今日、日はもうきつい一日であったというのではなくて、ね。
 本当にあのような大変な仕事をさせて頂いておるのに、さほどにつかれも感じていない。いやむしろそれが面白かったと。あれが後から考えてみると普通なと、普通の時な時だったら腹立てとっただろうけれども、腹の立つどころかかえって有り難かったというようにです、私共の心の調子が、いわゆる自然が奏でてくれるとこの、リズムにおうてまいりますという生き方。
 そういう生き方を、私は信心の本当の生き方だと、こう思うのです。教えのリズムにのっての日々でなからなければならんのです。はぁ今日はこれでいよいよ、ここんところに焦点をおいていかなければならないなと私は思うた。お食事を、まぁ頂き終わっておりましたら、久保山さんがお昼あたりに参りましたたい。丁度善導寺にいかなければならない時間と一緒になった。
 そこで私は、お供え物をそこへ出しておりましたのは、一切を愛子に託しまして、親先生にこうこうというて、私は(ひげわたらせて?)頂いて、まぁ今日のお月次祭は私ご無礼をさせて頂いた。ところが、ご無礼をさせて頂いたという事がです、もう本当に私がおらなければならなかったという、幾つかの事柄があった。リズムにのっておる。ね。私が行こうと思いよったら。
 そこへいわば久富、久保山さんが(  ?  )あたりに来て下さった。だからその方をさせて頂いておるうちにです、私が善導寺にお参りしておってはいけない事が、次々と感じられるような事実があった。おかげを頂いたという事になるのだ。お互いがその辺の調子とでもいうか。ね、その辺のまぁ信心生活のポイントになるところ。をその頂きはずさんようにして、生活をさせてもらう。
 自分の信心、自分の生活というものが、ね、果たして、いわゆる神様が奏でて下さるそのリズムにのっておるかどうか。ね、そういうところに、私はひとつ分らせてもらえれる信心を頂きたいと思う。これも今日、丁度朝のご祈念、その後でしたか。まぁ私がうとうとしておる、ちょっと前ぐらいだったでしょうか。吉井の「羽田野?」さんがお参りになった。今日は(すくなそうなのに?)に参ってみえた。
 もうここ一年ばっかり、ここへ「山太郎?」という、その俳句の本が毎月送ってくる。誰が送って下さるか分らない。だからまぁ私としては、ここで何時か俳句の会があった時の、まぁ取材をなさった方だろうと。その方が、まぁ私が下手の横好きで好いとるから、送って下さっておるのであろうと。けれども、これ「羽田野?」さんに一遍聞いてね、お金を払わなければならないもんならお金も払わせてもらおう。
 また寄付かなんか寄付もさせて頂こうと。と私はその思うておりましたから、丁度幸い「羽田野?」さんが見えたから、こうやってあの「山太郎?」毎月送って頂くんだけども、実を言うたら私は好きなんですけれども、この本だけはね、表紙見ただけで中をこうぱらぱらっとくって見るだけで、読んで見たことがない。読んでみようという気がせんのですが、「羽田野?」さん私は、とこう言うた。
 本当にそうなんですね。ここで読めんなら、あちらで読もうと思って控えにちゃんと机の上に上げてあるけれども、読もうという気がしないのです。読もうという気が起こってこないのです。大体はもう、私は好きですから、もう何遍でも俳句の書いてあるものなら、俳句を書いてあるのを、何遍でも読みかえしてでも、読むのですけれども、この本だけは読みたくない。だから「羽田野?」さん。
 こりゃどういう風にして送って来ておるのか知らんけれども、断って頂こうと思うて、いうて私が申しましたら、先生実はそれは私が一年分、そのお金を仕払わせて頂いております。だから向こうの方から送って下さるのです。という事だった。いや、そうでしたか、あなたのお供えだったんですかと。それにどうしたことだろうかと私は思うた、その瞬間。ところが次に、いわゆる「羽田野?」さんの言葉を聞いてから、なるほどだなぁ、私が読みたくなかったのは、私じゃなかった。
 神様が読みたくないと思いなさったのだなぁという事実が、次の「羽田野?」さんの言葉でみよってはっきりしてきたんです。というのは先生、私はね、この私も、あのあちらはなかなかの俳人です。ね、ですから、もうあらゆる会にも出られますし、「山太郎?」もずっととっておられるわけです。ところが先生、私も実はこの本だけは読みたくないちゅわれるです。
 その山太郎というその本だけは私も先生、実は読みたくないんだと。それじゃまぁあなたも読みたくない、私も読みたくないのだから、まぁ断って(いたこう?)がです、しかし神様は間違いがないですなぁ。自分が食べて美味しくもないものをお供えするちゅったって神様が受けなさるはずがなかなという事、いうて話た事でした。自分が読みたくないものを、ね、真心というものはやはりそれでは真心が通用しない。
 先生がただお好きだからという、ただそれだけが、ただね、それが無駄になるとは思われませんけれども、「羽田野?」さん、お供えしとるその「羽田野?」さん自身がです、あの私も、あの山太郎という、あの排紙だけは読みたくないち。んなら共通しておる私も読みたくないと。というだけではなくてです、そこに私が感じた事は、私が読みたくないなぁと思うておったことは、神様が、読みたくないと思うておられたんだなと、いう風に私は気付かせて頂いた。
 私共が本当にそのいわせてもらう事、行なわせて頂く事。それを厳密に言えばそれはお粗末ご無礼は沢山御座いましょうけれども、私共の心いっぱい思いを込め真心を込めさせてもらう一日でなからなければならない。そういう真心の一日でなからなければ、私はいかに神様がならかなえて下さる素晴らしい、ね、合方を務めて下さってもどのように素晴らしいリズムがここにあっても、そのリズムに乗っていく事は出来ない。
 水と油では一緒にならない。やはり神様の心が水ならば私共も水にはなれなくても、水になろうという精進が何時もなされて、初めて一つになって行く事が出来る。そこに私は、いわゆるリズミカルな、今日も一日おかげを頂いてというおかげの中に神恩報謝の生活がさせて頂けるようなおかげが受けられるのだと思うのです。まぁそこでね皆さん愈々信心はこれを、はやり極めて行く以外にはないのだと。ここを私のものにして行く。いわゆるそこのところを一つ本気で修行させて頂く以外にはないのだと。
 いよいよ、正月も明日に控えたという大晦日の日の事。おじさんとおばあさんが話しをしておる。いよいよ明日はお正月だというのに、お餅も、とうとう今年はつけなかったが、とまぁ寂しい話である。そこでお正月にお餅がないわけにはいけんから、せめてまぁお雑煮だけぐらいは祝わしてもらわなければならんというので、まぁ何がなしかの品物を、金に換えてもち米と替えてこなければならん。そこでおじいさんは、品物を持って町にそれを売りにいった、さいへん寒い雪の日であった。
 持っていった品物を金に替えて。ね。おばあさんが待っている村に帰りました。途中でお寺さんの前を通る。大変なひどい雪の中に、お寺さんの前に六人のお地蔵さんが、それこそ雪の綿帽子をかぶって立っておられるのをご覧になって、見られたそのおじいさんが、ね、いやー、冷たかろうと。この寒いのに、雪の帽子をかぶって、お寒い事であろう、と思うたら、やはりその思いが早速(たくん、たこじんぱち傘?)ですかね、(じんぱち傘?)を買うて、そのお地蔵さん達一人ひとりにかぶせてあげられた。
 これは明日の、お正月の餅にならなければならない金である。けれども、もうそういうことは考えれるひ、その余裕がないほどに、お地蔵さんに対する思いが強かった。とうとう一つ足りなかったから、それは自分の持っておるタオルでこうほう包みをして差し上げた。まぁこれでこらえて下さい。はー、よいことをしたと思うて、お家に帰り。ね、おばあさんが寒かったでしょう、おかえりなさいと。今日はどうだったでしょうか、今日の仕入れはどうだったですか、と訪ねた時におじいさんが、実はこうこうだとお地蔵さんに(じんぱち傘?)を買うてかぶせて帰って来たことを話した。
 折角それでもち米を買おうと思うておった、そのもち米も買えなかった。ところがその、おばあさんが、へー、おじいさんいい事しておいでられた。ね、それはいい事をしてきなさった。もうそれこそ正月のお餅はもうついた餅よりも心持ちで、今度の正月はいきましょうと。それをせめることもない、いやむしろそのことを喜んで、いよいよ正月を、大晦日の晩、寝につかせて頂き、元旦を待たせて頂いた。
 ところが夜明け前に、窓の下で、何か騒々しい音がする。起きて見ると、( ? )の下の方で、一生懸命お地蔵さん達がお餅をついておられる。向こうの方からは沢山の着物を持ってくるお地蔵さんがある。向こうの方にはお地蔵さん達が一生懸命立派な家を建てておられる。ちょっとおじさん、おじいさん来て見なさい大変な事が起った。というて、その外をみると、餅をついておるお地蔵さん、着物やら色んな人間の幸せに必要な全てのものを、あっちこっちから持ち集めておるお地蔵さん。家を建てておるお地蔵さん、それを見てびっくりした。というお話なんです。
 私はね、そのお話の中に、ね、神様が下さろうとしておるおかげ。おそらく、金殿(りゅくり?)のような立派なお家が建ったでしょう。そこには、それに相応しい、調度品がいっぱいそろえられたでしょう。百味の飲食というような食べ物も集まっておったに違いはない。お金も物も、お餅どころではない、人間の幸せに必要な物が全てそこにそろうておるというおかげがあった。
 私は、私、これをね、ただ、六地蔵さんの昔話とだけには思われません。金光様のご信心させて頂く者はです、皆がそのようなおかげが受けられる。いや、天地、おね、金乃神様がです、人間氏子の一人ひとりの上にです、どうぞ幸せになってくれよと。どうぞおかげを受けてくれよと。頼むように言うてござることは、そのことなのだ。金に不自由をするような事があっちゃならん。物に不自由をするようなことがあっちゃならん。健康を害するような事もあってはならん。
 家庭円満に必要なものが必要に応じて、ね、頂けれる受け物を作ってくれよ、おかげを受けてくれよという、神の願いがそこにある。そういうおかげを頂かせて頂くという事のために、先ほどの高橋さんのお話ちゃよく私は耳に入らなかったけれども、細々(しゅう?)話しをしておられることは、そのことではなかっただろうかと思う。私共が日々信心の稽古をさせて頂いて、福岡から毎日毎日、日参される。もうそれこそ御用というたら、家がどんな忙しいことがあっても、まぁ御用して下さる。その高橋さんの心の底にはです、神様の働きが何処に、どのようにあっておるやら分からん。
 昨日一昨日も、旗崎のご大祭であった。若先生が御本部参拝しておりますから、私がいかなきゃいけない。若先生がこの頃は御本部参拝、近所のご大祭の御用を頂いてくれますから、もう私はこの頃もうおかげを頂いて家の御用が出来る。若先生が行く時には、松栄会の連中がもう何時のは私、何時の日は私というてちゃんともう決まっている。一日ががりちゃんと御用を頂かれる。ところがどっこい私の場合になってくると、そのそういうその、あれがないもんですから、まぁいえば誰でも行ってくれましょう。
 そりゃちょっとむつやに電話をかけりゃ、信司が来てくれるでしょう。「正義」さん今日はこげんばいちいや、「正義」さんが直ぐやってきてくれるでしょう。ね。けども、丁度毎朝高橋さんが参って見えますから、申しましたら、あの今日は竹葉、竹葉、竹葉会、あちらの奥さん達の会、若い嫁さん達の会。だから家内が出てくるから、自分が家に、店におらなければいけまいという風に私には聞こえたんです。
 まぁでもまた実際そうなんですからね、奥さんが出て来るから、大将がやっぱおらにゃいけんわけです。はぁだから出来んのかと思うとったら、私が耳が遠いから聞きそこのったんでしょう。はぁおかげ頂きます、といわれたんでしょう。おられたんです。私が用意する、さぁならまい行きます。ほんならもう、送って頂くだけでもよいからというたけれども、いやそんな訳には、というて、結局お祭りの済むまで、おって、まぁ付き合うて頂いて、繁雄さんがお供してきて下さり。
 高橋さんが車で送ってきて下さったというようにです、もう実際自分が、こうでおらなければ出来ない時でもです、御用というたら、それをいわば、無碍にはしないというのが、これは高橋さんのご流儀なんです。高橋さんの御流儀ということはどういうことかというと、高橋さんの心のげん、を厳密に言うとです、ね、もしその時にです、いや今日ちょいと私は出来ませんという、その日にです、神様が何か下さろうとするようなものがもしあったとしたら、頂きそこなうじゃないか。
 神様の働きを、いわば邪魔することになるではなかという、そういう確信に満ちた御用であると私は思います。ね、それはお前の忙しいことは分かってる今日は。けれども、御用を言いつけたところが、気持ちよう御用を頂いた。ね、そのことに対してです、この後、ここんところの信心が出来たら、これもやろう、あれもやろう、と準備をしておって下さるようなものまでがです、水泡に消してしもうて、おかげが又遠いものになってくるようなことがあっちゃならん。
 何処にすきがあってはならない。特に御用の上にはそういうような気持ちを持っておられるのが、高橋さんの信心だと思うんです。先程話されたのもやはりそういうようなことを、まぁお話になったのじゃないかと私は思うんです。神様のお働きの邪魔にならんように、神様が私共の一人ひとりの上におかげを下さろうとしておる、そのおかげの邪魔にならんようにんなら、そういうおかげはどの様なおかげかというと、ね。
 そのおじいさんとおばあさんの上に人間幸せの一切の、全てのものがです、そこに足ろうたおかげを受けられたようにです、ね、そういう幸せなおかげが、誰の上にでも、実は降り注がれるようにあっておるんだと。おかげは降るようにあっておるんだと。天の恵みは限りがないのだと。それを受け止めれる私共の受け物がないから、頂けんのだ。と結論するより他にないのです、金光様のご信心は、ね。
 ですから、ならこのおかげをです、一部一厘間違いなくおかげを頂いて行くという事の為にはです、どのような信心をさせて頂いたらよいかというと、先ほど申しましたように、神様の働きに邪魔にならんような、という生き方がです、神様の奏でて下さるところの、天地自然の働き。天地自然のそのリズムにのった生き方をしていけということです。それは厳しいことになってくるかもしれない。それはこんなこと私には勿体無いと思うような楽なことになってくるかもしれない。
 けれども、そこんところにです、何時もリズムとつかず、即かず離れずという、とにかくこれに離れず、ね、(ちょうしん?)に離れることのなし、私共の生活が出来ていくようなです、私は兼ね合いというか、こつあいというか、そういうものを私は身に付けていくということが、お道の信心だと、私は信じております。その為にはです、どのような場合でもハイと言えれる素直さが、高橋さんじゃないけれども、そのハイという素直さが必要であるということと同時に、おじいさんとおばあさんの、その六地蔵さんのお話ではないですけれども、お寒かろう、冷たかろうと。
 人にかけれる、そういう真というか、親切というか、そういう神心がです、私共の心の中に絶えず養われておからなければならないということ。はぁ寒かろう、この寒かとに、あの人は裸になってござるち。言うだけじゃいかん。寒かろうとこう思うたら、そこにですね、いわゆるタオルの一つもかぶせてあげようという、そういう心が、大事であるということ。次には、帰られた、素手で帰ったおじいさんに対する、おばあさんの態度である。おじいさん、あんたばかりは、本当あんたばっかりは馬鹿じゃなかのち。
 折角あんた(米の?  ?)、ね、ちったばっかりの(きん?)ば持っていって、お金に替えたつばあんた、地蔵さんにどんかぶせちから。あなたもち米ば買うてこじゃくてっちいわっしゃる。まいっちょ取り戻してこんのちゅうごたる風に、言うばばさんもあるかも知れませんよね。あんたばっかりは、馬鹿じゃなかの、ち。ところが、そうはいわっしゃれんじゃった。いやぁ本当に、おじいさんよいことをしてきなさったち(感動)ね。もう全てをね、喜びで受けれるということなんです。
 全てをありがたしと受けれる稽古を、常日頃しとかにゃいけん。そりゃしもたね、という言う前に、そりゃおかげじゃった、と言えれる心をね、つくっておかなければいけんという事。ね、そういう私は働きこそがです、ね、神様が下さろうとするおかげを間違いなく受けとめ、とめていく道を私共は行じておるという事が言える。ね。私は金光様の御信心はそれ以外にはないと思う。ね。
 いよいよ今月も、今年も最後の月に入りました。ね、いよいよ私共がです、より明るく、よりにこやかにと、元旦にそれこそ、今日は、今年はこれでいくぞと思うて来たけれども、果たしてどれほど、より明るくなったであろうか。よりにこやかになったであろうか。掛け声だけは勇ましかったけれど、その中、間はどういうことであっただろうか。せめてこの最後の一月だけでも、本気でそこに取り組ませて頂こうと。
 最近ここ4、5日言われております。ね、人の幸せの為。世のお役の、お役に立つことの為に、ね、これからの合楽教会は躍進していこうと。ね、人が助かることのために、ね、世の中の為になることの為にですね、私の一家があるんだという風に、銘々がそれを思うて下さるという事なの。ね、ただ今申しますような、神様のお働きに、邪魔にならない働きを私は、色々に申しましたね。
 おじいさんの心。おばあさんの心。高橋さんの行じておられる、その事が邪魔にならんならば、例えば、これが人のため、世のためにというように、自分以外の者のために私共が奉仕をさせてもらう生活をさせて頂くという事はです、そういう働きをです、いよいよ十全なもの。完全なものにして行く。十年後にしか頂けないおかげならばです、それを五年後に、ね、一年かかるおかげならばです、一月ででもおかげの頂けれる、促進の私は働きがそういう事になるんだとこう思うのです。ね。
 敬親会の時にその事を、久留米の佐田さんが話しておられました。朝の御理解一家中で頂いて、帰らせて頂いたら、かえって主人になります「きょうぞう?」さんが仰った。もう佐田一家のこれからの信心は、今日親先生が仰ったあの御理解にもう尽きるばいち。もうこれからの私共が信心な朝参りも夜参りも、どげな修行も(全てである?)。人の幸せのことの為に、世の中のお役に立つことのために、これからの佐田の一家の信心なあるばい、そこに焦点をおいて信心するよというて、子供が申しましたと。
 というて、おばあちゃんがその事をね、皆さんに聞いてもらっておられましたら、おばあさん達が言うておられました。はぁ感心なこっちゃあるち。もう私だん何十年信心しよるばってん、わが子供んこっと、孫んことばっかりしかお願しよらんけん、本当おかげ頂かんはずですもんの、ちゅうてから、言われた。そこまでは分られるです皆が。なら分ったなら、一つ本気でそういう事にならせて頂こう、人のことも願おう、世のお役にも立たせて頂こうということに、何故なれないかというと、これがまだ汚いからだという事になるんです。これがまだ素直にないからだということになる。
 願おうと思うても実感としてそれが願えない。ただ願う事は自分の事ばっかりしか願えないというのはです、私はそこんところを私共は分らせてもろうて、愈々限りなく、美しゅうならせて頂いた。そこからよりにこやかによりね、明るく生活をさせてもらう。そこに神様のお働きが邪魔にならん。神様が私に下さろうとするおかげの邪魔にならんような信心を、させて頂くという事と同時に、それを愈々促進させるために。
 いよいよ神心を奮ってです、世のお役に立たせて頂こうじゃないかと、一家で話し合えるような信心をです、ここに残ったわずか一月この十二月という一月だけにをです、そういう所に焦点をおいておかげを頂こうじゃないか。十二月は又報徳祭が二十日に仕えられます。それから今先程申しました親教会のご大祭が、ここは秋のご大祭です。うちはあんまり早かったから早いですからね、こう離れておるけれどももうご大祭としては大変遅いわけですけれども、十二月の三日が恒例ののご大祭で御座います。
 時間は十時半ですから、何時ものように、久保山先生のところにお宿をお借りして、あそこで揃うて、ご参拝のおかげを頂きたいと思いますから、ね、お参りが出来ない方は、お初穂でもお託下さい。同時に、あのお参りが出来る方はどうぞ、お繰り合わせを願われて、ご一緒におかげを頂きましょう。今度は、鹿児島の「ぎょうとく?」先生のお説教だそうでございます。
 皆さんもご承知でしょうけれども、大変お徳を受けられた先生であると同時に、非常にお話の名人です。ほれはもう本当に、もうとても私共が話の足元にもよらんような良いお話をなさいます。お話を聞いて、一つ助からなければなりませんし、又親教会に対する私共の思いが、そういうようなことによって、現されるという事は、又信心だと思うのです。どうぞ、宜しくお願い致します。
 三日の日ですね、明日、明後日。そして、私共はこの十二月をです、もうとにかく、信心月としてです、いよいよ信心の締めくくり月としてです、ただ今申しました、それは人のためではない。私自身に神様が下さろうとしておるおかげの邪魔にならんような、日々を送りたい。ね、そういう信心をさせて頂きたいと願うておるもんでございます。
   どうぞ、宜しくお願い致します。